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まが・すすむの歴史の散歩道

近況と趣旨がえ

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近況と趣旨がえ


私の生まれた街は大阪府門真市。

松下電器とタイガー魔法瓶と海洋堂のある街として一応全世界に知られているのだが、私はいずれの関連会社に勤めた事はない。

実際に門真団地周辺付近を5-10m掘ってやると、面白いぐらいに貝殻の化石が出るし、仁徳天皇の命令で作られた茨田堤はあるけれど1620年前は余りに遠過ぎ、当時のこの町は河内湖か河内湾だったんだろう。

また、紀貫之や菅原道真一行などなどが通り過ぎたり、南北朝時代から戦国時代にいたるまで度々戦場にもなった。ビルの建築工事などで時折人骨が発掘されたりするのはその影響であり、戦国時代は幕領か天領であるから◎◎藩という縛りもなく、信長の弟の茶人としても知られた織田有楽斉が統治していた我が町。

東西に守口街道、さらに東に向かえば伊賀街道と連なる、それなりに歴史深き町である。

今から42年前の1977年、今は跡形も無くなった門真市立南小学校(二校が合併して現在は砂子小学校)四年生の自分は、当時から『博覧狂気』だの『人間辞書』の渾名を賜っていたものの、社会の時間に副教科書(授業中にしか手に出来ない)の『わたしたちのまち門真』に拠って、『郷土史』という学問が存在し、幣原坦(東洋史学者・教育者)・喜重郎(外交官・総理大臣)兄弟の出身地であり、かの江戸川乱歩も住んだ町で、彼の創作した名探偵として知られる架空の人物明智小五郎の出身地だと知る。

で、立命館大に入って『源氏物語』の研究をしたかったんだが、いろいろあって高校を中退した。その反動からなのか、勤める会社の歴史担当者を歴史好きというだけの指名で勉めたり、元々、漫才を故飯塚銀次とコミックバンドと並行しながらやってて、昔々の演芸にそこから興味を持ち、長じて嘉門タツオ師と三井雅弘師に数年師事。で、バンド結成から18年後に漫才の源流芸のひとつの故郷の盆踊りの江州音頭の会(郷土芸術江州音頭 桜川唯丸会)に入り、二代目桜川唯丸&唯清&唯正(辺高正)&唯玉と初代桜川唯丸を身内では師と仰ぎながらの修行したり、辞めたり戻ったり、合間合間には様々な音楽修行していたんだが、
そんなこんなで自分は以後、仕事や一身上の都合で移り住んだ宮崎県児湯郡高鍋町→兵庫県川辺郡猪名川町→三重県上野市その他諸々の土地で生まれ育った方々よりも土地土地の歴史が詳しくなってしまった。

かくいう自分も京阪電気鉄道本線香里園駅前の『蔭山医院 産婦人科』にて生誕。

2006年12月から2018年現在の住所は、古代から存在するという『京街道』沿い。こちらに住んだ動機は、司馬遼太郎作品を始め、様々な小説や古文書に登場する街道であり、世間的に名の通ってる街道であり、

「この家の前の道をかつては『仁徳天皇』も『行基菩薩』も『山本勘助公』も『松尾芭蕉宗匠』も『土方歳三新撰組副長』も通ったんだなあ…」

とお手軽に歴史的浪漫に浸る事が出来るので移住した次第。

と言うのも、自分の出身地は、私自身が産まれる四~五年前の大阪府北河内郡門真町から大阪府門真市に成り、田畑の埋め立て工事が始まり、急速に市街化が行われた土地であり、文字通り歴史を持たない町なのであり、父親が生まれ育った宮崎県児湯郡高鍋町や母親が生まれ育った京都市伏見区みたいに華やかな豪華絢爛な歴史的風土がほぼなく、自分たちの世代はほぼほぼ二代目のこの町も、最近は高齢化と中国人だらけとなっているが、町はそうして時代と共に移り変わり、寂れているのは治安も元々悪かったからなのだろう。

面白いのは、最近はめっきり減ったが、成人して初対面の人々に「門真生まれです!」と自己紹介すると「治安悪いところですね…」とストレートに言われるか「松下電器/タイガー魔法瓶のあるところですね」とオブラートに包んで言われるかという町。

でも、自分が産まれた頃から現在に至るまで、遂には10年ほど前には国道一号線(久御山町ルート)と高速道路まで出来てしまい、尚かつ蓮根畑などの田畑や由緒正しき深野池などの遺構の各所の溜池などは相変わらずの土地造成で姿をけしつづけていゆが、自分の中では幼い日から成人になったぐらいまでの田園風景のある田舎であり、故郷で有ることには変わりない。

で、それと、両親が歴史的情緒溢れる場所で生まれ育ち、それぞれの里帰りの際に神社と仏閣と記念碑に子供の頃から接していて、また、両親共に作家(父)志望者と映画監督(母)志望者のせいか、歴史とか芸能、文学、美術などの各種芸術に造詣が普通の人よりは深かったので歴史に興味を持った。

ただ、記憶を頼りに書くつもりなので、誤りとかあるだろうけども、平にご容赦悪しからず!なのです。

【追補 2023年8月9日水曜日】

この最初の1枚を書いてから、早いもので5年経とうとしている。

今年の4月12日(水曜日)に父政宗(筆名 84)が倒れて入院。この下旬に4ヶ月の入院を経て、退院予定だが、父ひとり子ひとりの楠元家ながら、家庭内の後妻(7年前に死去)の洗脳と策略に寄って、一度ではなく二度も私は門真を追われてしまった。

原因はその後妻の死後に、彼女が父を婚姻期間の(30年と死んでからの7年の)長きに渡り、父を洗脳し、その洗脳が、昨年末父に奮いたくない暴力でまず第一歩、で今年の4月の入院まで、後妻の影響で入信していた新興宗教…邪教に帰依して、可哀想にその宗教グッズのひとつの『御神水』という那須高原の井戸水で治療しようと真剣に思っていたのだ。

私は20歳の1987年に後妻に当時の勤め先の兵庫県川辺郡猪名川町に、39歳の2006年12月に大阪市旭区に二度も転居させられた。

二度目の転居は私の不甲斐ない家賃滞納が原因だったのだが、その時も追い出された。

私は後妻が死んでから、ようやく実家に宿泊、父と30年振りに生活出来る様になった。

が、しかし!

父の入院中、義母の遺品を整理していて、大量の本、衣類、使わない高額機器などなど、私の転居以前…のコレクション部屋を、守るために私を門真から彼女が追い出したことを知る。

後々、後妻の近所の人々から善い思い出話を訊くことは皆無で皆が

「あんたのお父さん、長い間だまされてたんやな。

あんたのお母さん(41年前に数え43歳で病を得て逝去)は気遣いの出来る、人の気持ちになれて、良くしてくださったのに…」

と言う話しか聞かなかった。

つまり、再婚当時、今の私と同世代で男盛りだった父は、寄ってきた後妻は擦り寄ってきて、モテたはずなのに、こんな面白くのない、人の気持ちのわからない女と長年一緒に暮らしたために、長い年月を棒に振った。

後妻の息子(以下バカ息子)、嫁(非社会人)、社会人のガキが四人。顔が暗い。恐らく宗教二世ファミリーは幸福では無いだろう。全員もれなく顔が暗い。後妻は生前から嫌われてたのだろう。

私はこの後妻のバカ息子と孫たちとは、後妻の法事で初対面だったが、後妻の息子の嫁も宗教二世で、まともに他人に若い頃から挨拶が出来ない。

ま、生活費の援助が父と後妻からあったのか知らんが、世話になった感覚は私には少なくともなく、後妻はそうしたお家同士の付き合い(親戚付き合い)を自分の欠点が露見するのを恐れて一切しなかったことも一言付け加えておかなければならないだろう。

父が入院した時、保証人が即座にいるので、乗り気ではなかったがバカ息子に電話した。

出るはずもなく、母が生前に妹の様に可愛がっていた神戸市内に住む親戚のK姉ちゃんに連絡。留守電だったが、折り返し電話が鳴り、二つ返事で

「私が小学校の時から世話になってるから、大事ならば駆けつける!」

と、まで言ってくれて人の厚情に目頭が熱くなった。

父が入院する少し前、実家近所の青果店を家族で経営している小学校1年生からの親友のザキミヤに

「町内の郵便局の局長にマツキがなったらしいんで挨拶に来よったわ!」

「会ってみたいな…」

と話した。マツキはザキミヤと共に小学校1~2年生の親友。家はそう遠くない場所で大衆食堂を経営していた。

で、先週月曜日(7月31日)用事で郵便局に行き、年若い局員に伝言を頼むと、マツキが出て来てくれて、約半世紀(48年ぶり)の熱き抱擁を交わし、終業後に母の仏壇に手を合わしてくれた。

没後四十二回忌(実際は41年)を迎えた母であったが、彼はそれまで母が生きて元気に83歳の今をこの街で、生きていると信じてくれていたそうで目頭が熱くなった。

後妻のそうした心温まるエピソードは没後訊いたことが皆無だ。故人さんではひとつぐらいあるのに不思議。

人生の相方だった飯塚銀次(本名K.T)が病気で逝去した2011年5月22日飯塚の通夜式の時、

「実家に泊めてくれ」

と懇願したが、存命中の後妻に泊めて貰えなかった。原因は私の部屋が義母のコレクション部屋となっていたので…。現在、そこで後妻の金にならない遺品コレクションなどを廃棄しながらて生活している。遺品をバカ息子家族が引き取る訳はない。

昨年の七回忌、父と私は敷礼服(喪服)で参加。バカ息子側は法事を終えたらどこか遊びに行くのか普段着。あとあと、読経してくださった先生(僧侶、懇意)や近所の人々や友人知人や先輩後輩に話すと全員が口を揃えて

「なにその家族?気持ち悪い!」

と話した。

「もう、絶縁しよう。やっと心のしこりが取れるわ…」と決意した。

父が退院したら、忘却の方向に持って行く。そして、父は残された人生を悔恨と懺悔に身を捧げて生きていくのを見届けるのが血縁なのだから。

(おしまい)







(了)
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